刹那的愛情表現

01

 京の都の外れにある何でも屋・鵺屋(ぬえや)の主人、刹那(せつな)の愛情は、彼女の周りの人たちにとってとてもイタい。と思う。




「あー、暇。誰かなんかやれ」
 午後の、昼寝に最も適した時間帯。幼い弟子たちがそれぞれ昼寝をしに行ってから、鵺屋の横暴家主は唐突にそんなことを言い出した。
「……またなんだい、急に」
 真っ先に反応したのはこの鵺屋一の童顔、殊(こと)だった。緑がかかった黒い髪と目の、爽やかな美貌を持つ青年である。
殊は読んでいた医学書から視線を上げて、その目に鉄色の髪と目の少女を映し出す。
彼の目の前には、だらしなく床に寝転がる家主とその家主に腹筋枕を提供している友人、というなんとも異様な光景が広がっている。
とはいえ、きちんと座っている殊以外はこの場の全員が思い思いの格好と体勢で過ごしていた。
 この様子を見て、誰が妖界(あやかしかい)でも有名な変り種(かわりだね)戦闘妖怪集団だと思うだろうか。いや、変り種というところは一目瞭然だが。
「だーかーらー、暇なんだって」
「なにかやってなよ」
「なにかってなに」
「内職とか」
「読書とか」
 続けたのは鵺屋一の遊び人、左武(さぶ)。
床に片肘をついてなにか本を読んでいる。この男が本を読むなんてことは滅多にないので、本の内容は官能小説か春画だろう、とこの場の全員が推測していた。柱と同じ色をした五分刈りの髪と、日に焼けた褐色の肌が午後の眠りを誘う陽光に照らされている。
「……午睡(ひるね)とか」
 最後に眠そうな声で呟いたのは鵺屋一の美丈夫、竹花(ちくか)。
 長くて綺麗な金髪を惜しげもなく床に広げ、竹色の目を眠そうに細めている。その綺麗な顔の下で、引き締まった腹筋の上に自ら主(あるじ)と敬う少女の頭を乗せている。他の男二人が内心密かに羨(うらや)む腹筋枕を要求したのは刹那だが、竹花も異論はないのでそれに大人しく従っている。最も、彼が刹那に従わないこと自体、ほとんどないのだが。
「内職も読書もする気が起きない上に眠れないからこんなことを言ってるんだけど」
「まあ、たしかにね」
 二の腕までまくれあがった青い狩衣から出る腕でばしばし床を叩きながら刹那は訴えた。いつもなら彼女が真っ先に寝ているというのに、珍しいことだ。
「うるせーよ、静かにしろ、今いいとこなんだから」
「官能小説読んでるやつが偉そうに言うな」
「お前、読心術使えたのか!?」
「「当たってたのかよ」」
 殊と二人で呆れながら刹那は僅かに持ち上げた頭を竹花の腹に戻した。竹花の長い指が、刹那のもつれた髪を優しく整えていくのが気持ちよくて目を閉じる。しかし、いつも眠りを喚起させるその行為も、今は全く効果がない。
「ぜんぜん眠くないんだけど」
「……ん、じゃあ羊だ。数えろ」
「狐のくせに羊かよ」
 確かに竹花は本性(ほんしょう)が年経た狐であるが、だからといって羊の代わりに狐を数えるのはなんだかおかしい。
「じゃあ左武は熊を数えるのか?」
 顎を上げて、天井に寝転がっているように見える左武を視界に入れながら竹花は聞いた。美形がそんな体勢でいるのは変だったが、竹花だとさほど変には見えないのが不思議だった。
 対する、本性が熊である左武は、偉そうに鼻からへっと息を吐き出して視線を本から竹花へと移した。
「俺は数なんか数えなくても余裕で夢の世界に行けるからな」
「それ、威張って言うほどのことでもないと思うけど。どこでも寝られるってだけで」
「うるせー、虫は黙れっ!」
「食欲ばっかり旺盛な熊に言われたくはないよ!」
「お前なんか捕まって工芸品にされるだけだろうが! 熊は肉は食えるし、皮は売れるし、無駄のない生き物なんだぞ! 掌なんか珍味なんだぞ、コノヤロー!」
「それ単に、他の部位より柔らかいだけでさして美味しくないって言うし。大体熊一頭あたりの売値より玉虫一匹分の売値の方がずっと高いんだからね? 大体熊なんてどこの山でもありふれてるよ!」
「無駄に派手な虫よかマシだ! 何なんだよ、あのぎらぎら光ってるのは! 敵に食ってくださいって言ってるようなものだろ!」
 やいのやいのと、止まらない言い争いを続ける二人を横目に刹那はもそりと起き上がった。その顔は不機嫌そのものだ。
「あーもう、うるさい! お前ら両方どっかいけ!」
 床板をばしばし叩きながら今にも暴れ出しそうな声を出し始めた刹那に、二人は口を噤み、さすがの竹花も上半身を起こした。
「おいおい」
「ちょっと待ってよ刹那」
「うるっさい! お前ら山向こうに行って梅昆布茶買ってこい!」
「なんで梅昆布茶!?」
「ってか、今から行ってたら日が暮れるだろ!?」
「黙れー! 行かなかったら底なし沼の淵でギリギリのチキンレースをさせるぞ!!」
「それは勘弁!」
「ってか、落とす気か? 落とす気だよな? 確実に落とす気だろ、お前!」
「うるさい! さっさと行けー!」
「うええ……」
 本気で生命の危機を感じた左武と殊はそそくさと出かける準備を始めた。刹那はやるといったら本当にやるのだ。底なし沼が本当に近所にあるのもまた、現実味を帯びてイヤだ。
「じゃ……死にたくないんで、いってきます」
「こぶちゃー!」
「ハイハイ」




 二人が出かけて、屋敷はさらに静かになったが、刹那に睡魔は一向に訪れない。起きた竹花の膝を枕にして目を閉じるが、やはり眠れない。
「あーっ、暇暇暇」
 寝返りを打って大きく息を吐く刹那の顔を飽きもせずに竹花は眺める。その顔はいつも通り何の表情も浮かべてはいないが、どこか穏やかだ。
「……烏丸(からすま)のところにでも行ってこようかなあ」
 刹那の髪を梳いていた竹花の手がぴたりと止まった。
「竹花? どうかした?」
「いや……」
 そう返事したはいいものの、再開された竹花の手の動きはいささかぎこちない。まあ烏丸という人物が美男美女好きの性別年齢不詳の怪しげな妖怪だということを考えれば、竹花の動揺も頷ける。そんな怪しい者のところへ大事な主人が出かけると聞いたら、竹花でなくとも心配するだろう。
「御前(ごぜん)。前々から言っているが、あの者のところに行くのはいささか控えた方がいいぞ」
「なんで?」
 理由がわかっていないところがまた厄介だ、と竹花は思う。
 性別年齢不詳はまだいい。
 怪しげだが、妖怪だというのもいい。
 加えて左武の素行が悪かった頃の知人だということも全く構わない。
 しかし、老若男女関係なく美人に触手を伸ばす性癖だけは、許容範囲の広い自分でも許すことができない。
「あの者はあまり感心しない性癖の持ち主だ。それは御前とて知っていることだろう」
「烏丸の美人好きのこと? 心配しなくてもあたしは美人じゃないからあいつのターゲットからは外れるでしょ。むしろ竹花の方が気をつけたほうがいいんじゃない?」
「問題はそこではなく、奴が美人好きとのたまいながらも御前を気に入っているというところだ」
 起き上がった刹那の肩をがっしりと掴みながら竹花は力説した。
 彼としてはなんとしても、大事な主人をあの危険因子に近づけたくないのだ。
「えー、じゃあ竹花、代わりに何かやってくれるの?」
 それまでまっすぐ刹那に向けていた顔を、思いっ切り真横にそらして、竹花は沈黙した。
「……………………茶菓(さか)なら」
 長い沈黙の後で、竹花は何とかそうとだけ言った。
 完全に仕事向いた男に、何か面白いことをやれというのがそもそもの間違いなのだが、刹那はそんなことは気にしない。
「んー、じゃあいーやそれで」
 そういうわけで、竹花は主人の為におやつを作りに、天井に頭をぶつけながら台所へ向かっていったのだった。




「……やっぱ寝れん!」
 半眼で呟いた刹那は最後の手段とばかりに、音を立てないように走りながら弟子たちの部屋へこっそり侵入した。
 入った部屋では、まだ十数歳ほどの弟子二人がめいめいの寝相で眠っていた。
 殊の弟子であり、甥でもある東(あずま)は栗色の髪を床の上に広げながら何故かうつ伏せで寝ていた。床から寝息が聞こえるので、ちゃんと呼吸はできているらしい。
 対する刹那の弟子・玉三郎(たまさぶろう)は情けないことに変身の術が解けて、本性の三毛猫の姿に戻ってしまっている。おまけに寝相が大の字という普通の猫ではありえない格好。
「なんでこんな軟弱に育ったかな〜。育て方間違えたか?」
 玉三郎は、刹那と竹花が昔世話になった人物の息子である。刹那と竹花が生まれたての頃から育ててきたのだが、何故かこんな軟弱な少年に成長してしまった。
首をひねりながら考えるが、理由はわからない。鵺屋の謎の一つだ。
 玉三郎の性格がこんな風になってしまったのは刹那の横暴な性格が大きく影響しているのだが、何故か本人だけが知らない。
「まーいいや」
 早々に疑問を振り払うと、刹那は二人の弟子の中心に寝転がった。
 左に玉三郎、右に東という配置で寝転がっていると、寒さを嫌う玉三郎が丸まりながらくっついてきた。東も寝返りを打って、その拍子に頭と背中が体の右側面にくっつく。
 子供体温に囲まれて刹那の瞼がとろんと閉じていく。そうして、刹那が眠りに身を投じようとした――その瞬間。
 ――ごすっ。
 再び寝返りを打った東と、寝相の悪い玉三郎の腕と足がそれぞれ綺麗に刹那の脇腹に入っていた。
 当然、刹那の眠気は一瞬で吹っ飛ぶ。
 額に青筋を浮かべながら起き上がった刹那は、左右にいた二人のうなじを鷲?みにすると、そのまま外に引きずっていく。
 驚いたのはもちろん、引きずられている弟子たち本人で、急に起こった出来事に目を白黒させている。
「なになに?」
「あれぇ? なんか宙に浮いてる感じがする……」
 寝ぼけている弟子たちがはっきり目を覚ましてわけがわからないまま刹那に関節技をかけられるまで、あと数秒。




 三人が見える縁側に腰掛けた竹花は、主人の為に作ったたれ付きの団子をまだ暖かいうちにかじった。少しくらい食べたって刹那は文句を言わないが、一応頭の中でこれは現状把握の為の行動だ、と言い訳をしておく。仲良くじゃれあっている刹那と弟子たちを見て竹花はのんきに茶をすすった。
「……今日ものどかだな」
 鵺屋一、というか国家一イタい刹那の愛を鵺屋内で唯一イタいと思わず享受する男は、許容範囲が広すぎるほど広すぎた。
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