シューティング・スタート!

04

 まんじりともできぬまま夜が明け、アノアはどこかぼんやりとした寝不足の頭で、畑の草むしりをしていた。
 昨夜、あの異様な流れ星の後、エキナは珍しく無言でアノアを家まで送ってくれた。その痛いくらいの無言が、逆に何かあることを暗に告げているようで、アノアは一晩中落ち着かなかった。
 だが、こうして一日が始まってみて、何をどうすることもできない。兄も城に行ったままだ。
 城に行くことも憚られ、結局こうしていつものように日常を崩すこともできない。
(どう、なったんだろう……)
 何かしてやりたい。けれど何もできない。
 そんな焦りが体の中にある。
 ともすれば、城にまで走っていきたい衝動を押し隠し、アノアはもくもくと眼下の雑草取りに集中した。
「ようアノア」
 そんなアノアに声をかけたのは、灰色の羽の塊――ではなく、隣に住むクセキョだった。腕に、山盛りのトウモロコシが入った籠を抱えている。
 灰色の羽毛に覆われた鳥の頭部。人間とさして変わらぬ首から下の体躯。
 その異様な外見からもわかるように、彼は亜人である。
 亜人はラフィルから隣の島国・ハルアに多く分布する、人間とも魔獣とも違う種族の総称である。魔獣のような外見でありながら、その体組織は限りなく人間に近い。
 大陸南部において、かつては迫害の対象であった彼らも、ラフィルという国家ができてからはそのようなことも減った。麻の目のように乱れていた大陸南部を統一した王が、亜人だったということもある。
 大人たちの話では、王は目に鋭い眼光を湛えた大柄な亜人で、肌の色は褐色にほんの少し緑を混ぜたような色だったという。そして傍らには、ぎょっとするような美しい妻を伴っていたとも。
 アノアはさすがに本人を知らないが、彼はかつてこのファエトンにも訪れたことがあるという。彼の領地がファエトンの隣のラフィル地方であり、和睦によってファエトンを併合、自国の領地を広げるためだ。
 もとより農地が多く、戦う力のないファエトンは早々とこの案に乗り、後の血生臭い戦争とも無縁であった。
 そしてラフィルという一つの国の中に納まった人々は、さすがに国王と同じ種族である亜人たちを迫害し続けるわけにもいかず。国の亜人迫害禁止法の施行を待たずに、彼らの生活はぐっと良くなったという。
 そのためか、今では亜人たちはあちこちに散らばって住んでいるにもかかわらず、このラフィルに一番多く住んでいるという。
「なんか元気ねえじゃねえか?」
「いや、そんなことは……それよりクセキョさん。どうかしました?」
 クセキョは以前、都会から引っ越してきた人で、そこでは――彼が亜人だったにもかかわらず――武門で有名だったという。
 もっとも、のんびりとした田舎のファエトンでは武器を持った手に鍬を持って農業にいそしむことになる。
 だがそれを特に気にすることはなく、妻子とともに農業に励んでは、できた野菜を時折分けてくれる。アノアは手渡されたトウモロコシの籠を受け取り、邪魔にならないよう、地面に置いた。
「おう、昨日城に行ったんだろ? モナークはどうだった?」
「うーん、大丈夫……かな? ちょっと気分悪そうですけど」
 とりあえず仮病のことは黙っておく。あれがわかるのはアノアとアカテスと、今は療養に出ている彼の両親くらいのものだ。
「そうか、早く良くなるといいんだがな。あいつがいないと面倒で仕方ない」
「何がです?」
「最近さあ、なあんか妙な連中がここらをうろついてるらしくてさあ」
「妙な……?」
「見た奴の話だと、黒いマントを着た赤毛の女って話だったな。他にも何人か男がいるとさ」
「赤毛の……?」
 黒いマントを着た赤毛の女といえば、思い当たるのはただ一人、ぺルナだ。
 リールに出かけた際、エキナの持つ『彗星の欠片』を狙って何度となくやってきた女呪術師。
 ファエトンから『欠片』を盗んだのも彼女だったというし、まさかまた『欠片』を盗みに来たのだろうか。
「ちょっ、すみません、クセキョさん! あたし急用ができました!」
「おい、アノアっ?」
 クセキョの制止も聞かず、アノアは急いで走り出した。
 急いでエキナに知らせなきゃ。
 アノアの頭を占めていたのはそれだった。
 だから、背後でクセキョが満足げに微笑んでいたのを見ることはなかった。


「なに?」
 モナークはアカテスの口から出てきた言葉に眉を寄せた。
「呪術師の集団がここに?」
「来てる……らしい。一応、自警団に警戒はさせてるが……どうなんだろうな」
 まだベッドに入っているモナークとは対照的に、目元に隈を浮かばせたアカテスが頷く。
「また『欠片』狙いか?」
「さあ……今のところは何とも。だが、以前盗んだ時に、住民に姿すら見せなかったことを考えればかなり不自然ではあるな」
 それに『欠片』の気難しさをリールで目の当たりにしたというのに、また狙いに来るというのもおかしい。
 だが、この毒薬混入事件とほぼ同時期に彼らがやってきたことについて、関係がないとは言えない。
 かといって、それも『欠片』の件と一緒で、姿を見せているのはおかしい。
「とにかく、警戒した方がいいな」
「エキナはどこ行った?」
「いや、今日はまだ見てない。どうせまた夜中に星空観察してたんだろ。まだ寝てるんじゃないか?」
 エキナが嬉々として、流星群の話をしていたことは記憶に新しい。
「昨日はアノアを送った後にさっさと自分の部屋に引きこもっていたが……」
 首を捻って、アカテスは今朝のことを思いだす。
 仕事が終わらないのでアカテスは今朝、食堂には行かなかった。だから、エキナが朝起きていたかどうかはわからない。
「ちょっと連れてきてくれ。さすがに呪術師が関わるとなると、強制してでも聞かなければならない」
 正式には、エキナはまだファエトンに仕える呪術師ではない。あくまで客の身分だ。なのでモナークやアカテスの言うことを聞かなくてはならないわけではないが、事態が事態だ。何より、事によってはまた『欠片』に父が呪われる。
「へいへい……ん? 何だ?」
 アカテスが僅かに隈の浮き上がった目元を擦りながら身を返したところで、部屋のドアがノックされた。
「……おい、アカテス」
「? どうかしたんですか?」
 顔を出したのは、朝早くから城にやってきてモナークの抜けた穴を補っている議員の一人だった。
「なんかよお、モナークに客が来てるんだよ。病気で寝込んでるって言ったんだが、どうしても会わせろってしつこいんだ。なんとかしてくれ」
「客? 誰です?」
「魔術師協会の奴らだとよ」
 アカテスは瞠目し、背後にいたモナークと視線を合わせた。
「……モナーク?」
「知らん。心当たりもない」
 モナークは訝しげな表情のまま首を傾げていたが、それでもベッドから降りた。
「会おう」


「エキナっ、いるっ!?」
ノックもそこそこに、目的の部屋に飛び込む。
 カーテンがしめられたままの薄暗い室内に、求める人物の姿はなかった。
 もしや『欠片』の部屋だろうか。
 そう考えて踵を返し、あまり入ったことのない塔の上にまで駆け上がる。
 塔の最上階にある部屋のドアノブを掴む頃には、息が切れて肺が痛かった。それでも、ようやくつかんだドアノブをすがるように回す。
 早く。早く伝えないと。
 だが、目的の部屋に入ったアノアは、驚きに目を見開いた。
「ペ、ルナ……」
「ん? お前は確か、エキナの家にいた……」
 まるで神のごとく高々と奉られた『欠片』の前に、一人の女性が立っていた。
短い赤毛で中性的な顔立ちの、黒いマントを着た女性。もみあげのあたりだけが少しのばされているのが特徴的な髪型は以前にも目にしたことがある。
 ここにはいるはずのない――と思っていたかった――女性。
「どう……してここに」
「私は呪術師。こんな警備の甘い場所に忍び込むなんて朝飯前」
 そう言ってペルナは、いつも締め切ってあるはずの窓を指で示してみせた。
 彼女の言からするに、呪術で開けたものなのだろう。開け放された窓が風で揺れ、錆びた蝶番がきいきいと耳障りな音を立てていた。
「また『欠片』を盗みに来たの?」
「まさか。こんな面倒なもの、もうどうでもいい。それより、エキナはいないのか?」
 とりあえず、彼女の目的は『欠片』ではないらしい。安堵を覚えつつも、ペルナの言葉に一抹の不安を覚える。
 『欠片』を盗みに来たのではないのなら、一体彼女は何をしに来たのだろう。それも、エキナに用のあることで。
「ここにいないの?」
「いない。あいつも四六時中『欠片』に張り付いているわけでもないだろう。まあ、あいつらにはそれが好都合かもしれないが……」
「あいつら?」
 僅かにペルナの表情が曇る。次いで、自らの失言を悔やむような、不機嫌な表情になって素早く身を翻した。
「ちょ、ちょっと」
「あまり話す気もない。エキナがここにいないなら探しに行くまでだ」
 開いたままの窓に手をかけ、そのままペルナはそこから外へ飛び出していった。ここは三階だというのに、だ。
 慌てて窓に駆け寄り下をのぞくと、ペルナはどういった術なのか、地面と衝突するでもなくふわりと下り立ったところだった。
「……行かなきゃ」
 アノアも急いで走り出した。
 どこに向かってかは、自分にもわからない。
 ただ、エキナのところに行かなければならなかった。


 背後に感じた気配に、クセキョは微笑した。
 やっと来たか。
 そんな思いで振り返る。
 視線の先には思った通りの人物。
「クセキョ」
 艶のある黒髪が、強い風になぶられて宙に舞う。その硬い表情の中に浮かぶ二色の瞳は真剣な光を宿していた。
 エキナはその二色の目でクセキョをしっかりと見据えながら口を開いた。
「話がある」
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