シューティング・スタート!

03

 妙だな、とモナークは思った。
 自室のベッドの中、上半身を起こして考え込む。
 未だ寝間着のままだが、顔色はさほど悪いわけではない。
 一応、大事を取って、ということだ。
 そもそも、口にした毒が腹を下す程度のものであったのにも関わらずモナークが倒れたのは、日頃の疲労が溜まっていたのが原因だ。
 これ幸いと、日頃自分に書類を押しつけているアカテスに仕事を任せ、自室でだらだらと過ごしている。人が見舞いに来たときだけ具合が悪そうに見せているのは少し心苦しいが、たまにはいいだろう。
 かといって、ただ大人しくしているわけではない。
 頭を回転させ、昨夜起こったことについて、考えを巡らせていた。
 狙われたのはエキナだ。
 それはモナークもアカテスと同意見だった。
 モナークに毒を盛られる覚えがないわけではない。近隣の州知事の中には、若くして州をうまいこと切り盛りするモナークのことを疎ましく思っている者もいる。
 だが、それはまだ近所に目障りな若造がいる程度にとどまっているはずだ。前知事の父が病で知事を退任したのは、まだそんなに前のことではない。モナーク自身も、目をつけられないように気をつけてきた。
 だから、自分ではない。それは願望でもあるが。
 だが、肝心のエキナは口を閉ざす。
 心当たりがあるのかないのか、狙われたのが誰なのか、憶測すら口にしない。
 何を隠しているのか知らないが、巻き込まれた以上、モナークには前もって言って欲しいところである。そうして初めて事前対策もできようというものなのに。
「さて、どうするかな……」
 ベッドに寝転がりながら、モナークは再び頭を回転させ始めた。
 

 実際のところ、アカテスは後悔していた。
 昨夜、食事はアカテスが作った。
 モナークはエキナから他州の産業やその様子を聞いて紙に書きつけていた。
 二人に飲み物や食べ物の類は出ていなかった。
 だから、毒が入っていたのはあのスープなのだ。モナークだけがあれを口にした。
 後悔していた。本来ああなるのは部下である自分だったろうに。
 アカテスは平素から料理を作っても味見をしない。普段自分では作らないのもあるし、過去にひどく不味い料理を作って家族から不評を買ったことが原因なのもある。
 それらのことが一因となって、結果的にモナークが毒入りスープを口にすることになった。
 アカテスも、まさかファエトンでこんなことが起こるわけがないと思っていたから驚いた。油断していた。
 若いとはいえ、モナークは目端の利く男だ。それなりに大きな州であるリールと首都のある大州レニアラに挟まれているファエトンを田舎なりに豊かにしようと、日夜努力している。城の修繕費や河川の灌漑整備などで、毎年赤字のファエトンを支えようとしているのだ。
 だから、彼が倒れるとファエトン政府は大変なことになる。今日も朝からてんやわんやの騒ぎで、議員である父も、別室で書類を前に頭を抱えている。
 モナークの右腕であるアカテスはそれ以上で、まともに休む暇もない。
 だがアカテスはふとした合間に考えた。
 なぜ毒が入れられたのか。
 なぜエキナが狙われたのか。
 誰が毒を入れたのか。
 毒は何に入っていたのか。
 アカテスは昨日のスープの内容を思い出す。何で作っただろうか。
スープに入っていたのは、にんじんとキャベツとトウモロコシに玉ねぎ。それに調味料がいろいろ。野菜ばかりなのはファエトンが農業ばかりしているからだ。肉はあるが、モナークの家に備蓄されている肉は燻製か塩漬け肉のどちらかだったから、あまり使いたくなかったのだ。
 だから毒が入っていた――あるいは塗られていた――のは、野菜か調理器具のどれかだ。だが、器具類は使う前に洗ったし、野菜もそうだ。最近のモナークたちの食事は主に、近所の人々にもらったおすそ分け――それもエキナあてのものがほとんどだった――ので、埃をかぶっていたのだ。
 考えられるとしたら、完全に落とすのが難しいトウモロコシだろう。
 だが、もしファエトンの住人が毒を入れたなら、今までにもできたはずだ。
 いや、エキナ一人に食べさせたかったなら、若い娘を装った手紙でもつけた菓子を送ればいい。実際、エキナにはファエトン中の女性から菓子やらハンカチやらが毎日のように送られてくる。その中にこっそり混ぜておくことだって可能なはずだ。
 なのに犯人は、他の誰かが先に食べてしまうかもしれない料理の食材に、“わざと”毒を塗った。
「……誰が食べてもよかったってことか?」
 あくまで、可能性の一つだ。
 もしかしたら、犯人はエキナを苦しめたかったのではないのかもしれない。
 まだ途中だったが、アカテスは疑問を解決すべく、席を立った。
 

「ああ〜、どうしようかな……」
 エキナは降って湧いた問題に、文字通り頭を抱えていた。
 ファエトンに来た当初から問題はいろいろとあった。
 以前から『欠片』を狙うペルナの追撃。
 ペルナ以外の強行(タカ)派の呪術師の襲撃。
 エキナ自身の抱える、大小様々な問題。
 そのどれもが、ファエトンやそこに住む人々に災厄を運ぶ可能性は充分にあった。
 今回の一件も、その類だ。最も、ペルナたち呪術師の襲撃に比べれば、かなり優しいものだ。
 しかも、エキナのよく知る者の犯行。
 エキナは今回の事件が誰によって引き起こされたかを知っていた。
 だが、モナークやアカテスにそれを言うことはできなかった。
 どうしても。


 アノアはどうにもすっきりしない思いを抱えていた。
 兄に茶を淹れさせられ、夕食まで作らされて現在家路を辿っている。モナークが倒れた、納得できる理由は聞かされないままだ。
 隣にはアノアを家まで送るように言われたエキナが、何があったのか、どこか気まずそうな顔で歩いている。
「……あのさ」
「ん、何だ?」
 平常を装っているが、どこかよそよそしい。視線も合わせないのが、余計に怪しい。
「三人して何隠してるか知らないけど、隠すならもっとうまく隠して欲しいのよね」
「っ!?」
 エキナが飛び上がらんばかりに驚いて、自分を凝視した。アノアはあくまで正面を向いているので、視線を感じるだけだ。
 そんなエキナを無視して、アノアは淡々と話を続ける。
「なんかお兄に聞いてもはぐらかされるし、モナークは仮病使ってるし。何考えてるのよ」
「え、あれ、仮病だったんだ……」
「お兄の料理食べたからお腹壊したものかと思ってたけど、違うみたいだし」
「そんなにヤバいの、あいつの料理?」
 未だアカテスの料理を口にしたことはないエキナが口元を引きつらせた。食べなくて良かった、と思っているらしい。
「他は大体うまくこなすのに、料理だけは下手なのよ、あの人。じゃなくって、あたしが言いたいのは、あんたら何隠してるのかってこと」
 ぐっ、とエキナが言葉に詰まる。ちらりと見てみたが、話してくれそうな気配はない。
 はあ、と溜め息を吐くと、隣のエキナがおろおろと慌てだした。
「いや、あの、アノアを信用してないとかそういうことじゃなくてだな、その」
 見ていて可愛そうなくらい慌てているエキナをちらりと見、アノアは再び溜め息をついた。エキナが申し訳なさそうに、その身を縮める。
「なによ、言えないの?」
 実際、モナークが本当に悪いものを食べたのかどうかもわからないこの状況だ。この男三人が何をたくらんでいるのか、アノアにはわからない。
 一体何が起こっているのだろう。
「あ」
 アノアを直視できずに、夜空へと視線を逸らしていたエキナの目が何かを捉えた。
「どうしたの?」
 エキナの視線の先を追って、アノアも空へと視線を走らせる。
 真っ白な天の川が両断する紺色の空を、少しの間隔をおいて、いくつもの流れ星が瞬時に流れていく。
「あ、流星群? この時間でも見えるんだね」
「昨夜始まったから……でも、なんか変かもしれない」
「変? 何が?」
「わからない」
 エキナは落ちつかなそうに空のあちこちに視線を這わせている。その目は、どこかから来る得体の知れないものに怯えていた。
「なにか、なにか来る」
「何が?」
 エキナは答えない。
 空には相変わらず、流星が流れ続けている。
 ふと、流星の流れが止まった。
 流星と流星の合間にはありがちな間だったが、隣に立つエキナの体が緊張に強張っていくのが、見ずともわかる。
 星は流れない。
 風は止まる。
 どうしたのだろう、夏だというのに肌寒い。
 空。
空はこんなに茫洋としていただろうか。
 奇妙な感覚。
 それは初めてのもので、どうにも言い表しがたい。
 だが、どこか、なにかがおかしい。
 それはアノアにもわかった。
「くる」
 エキナの口から発せられたのは、短い呟きだった。
 たった二文字の、その言葉がひどく怖かった。
そして、エキナの言葉から少しの間をおいて、夜空を赤が大きく横切った。
 真っ赤な星。
 まるで空で輝いていた赤い星が、光を放ちながらそのまま落ちていくようだ。
 それは東から西へ、大陸を横断するかのごとく走っていった。
 流星にしては、あまりに長い飛行時間。
 あまりに明るい光。
 あまりに異様な輝き。
 ぞく、と背筋が冷える。
 まるで、何日にも渡って空に滞在するはずの彗星が一瞬にして駆け抜けていったかのようだ。
「なに……今の」
「わからない」
 エキナの手はアノアの腕をがっしりと掴んでいた。掴まれたことにも気付かなかった。
それほど、あの流星を凝視していたのだと、ようやく知る。
 何が何だか、よくわからない。
 今のはなに。
 どうしてこんなに寒いの。
 どうしてエキナは震えているの。
 わからない。
 ただわかっているのは、今アノアとエキナが感じているのは、言い知れない恐怖だということだけだった。
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