コメット・インパクト!

04

「いいか? 魔術師と呪術師は根本的には同じだけどそこから先は全く違う。例えて言うならレタスとキャベツのようなもので、外見的にはなんか似てるけど実際は全然違う――って、聞いてないな……」
「うーん、まーあねーえ」
 エキナが長々と語る魔術師と呪術師の違いを、アノアは見事に右から左へと聞き流した。アノアが知っている魔術師と呪術師の違いはあの長い杖を持っているか否か、それだけだったが、一般の知識としては十分だろう。
「まったく……俺だったからいいけど、これが呪術師のタカ派の連中だったら、問答無用で殴られてるぞ」
「ふーん」
「……お前あまり聞く気ないだろ」
「うーん、だってねえー、呪術師とか魔術師とか言われても別にあたしには関係ないかなって。平々凡々とした生活送ってるし」
「そうとはいえない」
 真剣な声で言われて、アノアはカップにやっていた視線を上げた。
「平凡に過ごしてきた者ほど後で非凡なことが起こる」
 エキナは橙色の混じり始めた、ぬるい午後の光を肩と背中に受けながらカップに口を付けた。
「案外平凡な日常の中に非凡が隠れていたりするものだ」
 そういう、エキナの様子は先程までのぼけぼけした様子とまったく違っていたので、アノアは驚いて目をしばたたかせた。
「あんたさ……」
「ちょっと待て。誰か来た」
 何事か言いかけたアノアを手で制して、エキナは顔を勝手口に向けた。確かに何か勝手口の方でがたがたと音がする。まだ明るい時間だし、泥棒の類ではないだろう。
「なに? 野良猫?」
「いや、この辺に猫はあんまり来ない」
小さく言いながらエキナは音を立てずに勝手口に近づくと、それを一気に内側に大きく開いた。
「ぅわっ」
 声とともに転がり出てきたのは髪の短い、一人の女性だった。耳のあたりの髪が少し長くて、それがともすれば男性に見えてしまいそうな彼女の顔を女らしく引き立てている。
「ペルナ……また何しに来た」
「だから返せと言っているだろうが!」
 開口一番、女性はそう怒鳴った。床に座り込みながらも、心の底から苛ついている、と言わんばかりの表情でエキナの顔を睨みつける。エキナの方は慣れているのか、特に動揺もなく対応する。
「だから、俺は何も取ってないっていうの!」
「取ったのだ! この盗人がー!!」
「近所迷惑な声出すんじゃねえよ! また俺が魔術師たち(ご近所さん)に怒られるだろ!」
「うるさい、知るか!」
「ちょっと、またうるさいんですけど! いい加減に静かにしてくださいよ」
「あっすんません」
 開けっ放しの勝手口から近所の人らしき若い女性が、いい加減にして欲しそうに顔を歪めて二人に怒鳴った。
 怒られるのはもう二、三回どころではないようで、エキナはずいぶんと慣れた様子で頭を下げ、そっぽを向いたまま謝ろうともしない元凶(ペルナ)の頭を無理矢理押して下げさせた。
「本当にすいません、今すぐこいつ追い出しますんで」
「おい、話は終わってないぞ! 聞いているのか、おい!」
 猫の子みたいに軽々とうなじを掴まれて持ち上げられたペルナの姿に、意外なまでのエキナの腕力の強さに驚いて目を丸くする。アノアが見間違いじゃないだろうか、と目を擦ったり何度も瞬きをしている合間に、ペルナは外に放り出され、勝手口は厳重に鍵がかけられた。
 ようやく落ち着くか、と思えばそうではなく、エキナは勝手口を閉めたその足で玄関も同様に鍵をかけた。余程ペルナがやってくるのが嫌なのか、窓にも鍵をかけている。
「ああ、これでようやく一息つける……」
 額の汗をざっと拭いながらエキナは安堵の息を吐いた。どかりと勢いよくソファーに座ったものだから、ソファーがぎしりと苦しそうな音をたてた。
「や、あの、あたし出られないんだけど」
「だってお前どの道出られないじゃん」
 確かにそうだが。
「荷物と馬、宿に置いてきた……」
「あーじゃあ、後で取りに行ってやるよ」
 アノアが口を挟む間も無く、次々と様々なことが決まっていく。
 なんかもう。
「……どうすればいいんだろ……」
 ぽつり、と呟いたら、エキナがアノアの方を振り返って言った。
「そのうち何とかなるさ。気楽に行けよ」
 この男は天然だけではなく、超マイペースなのだということがこの日、アノアの知ったことだった。




「行き詰まったな」
 ナラムは南方の味付けのされた麺の中に突っ込んだフォークを手で玩(もてあそ)びながら大きな溜息を吐いた。昨日から街のいたるところに部下を配置して状況を逐一報告させていたが、今のところ大きな動きは何もなかった。そういう時に限って、昼過ぎにあの少女を見失ったことが如何(いか)に重要だったのかを思い知らされるのだから、嫌になる。
 今はまだそうではないが、そのうち痛み出すであろう内臓を労(いたわ)るように鳩尾(みぞおち)に手をやる。本当に中間管理職というものは苦労と面倒ばかりが多くて嫌だ。上からはこうしろああしろと言われ、下からは仕事に対する不平不満が募(つの)る。どんな時にも板ばさみの状態から抜け出せない魔の職場を内心で呪いながら中断していた食事を再開させる。夏野菜をふんだんに使った麺料理にしばし仕事のことを忘れようとした……のだが。
「ナラム様っ! 大変! 大変ですよ!」
「ここは公共の場だ。もう少し静かにしろ」
 馬鹿に声の大きい部下にそれをも邪魔されて、ナラムは泣きたくなった。泣きたくなったが、仕事は重要だ。ついでに声の大きさを注意する。いくら騒がしい街の広場とはいえ、周囲には昼食を食べている人々がたくさんいるのだ。もう少し気をつけろ。
「それで? なにがあった」
 部下をテーブルの向かい側に座らせて報告を聞く。聞いている間も食べるのを忘れない。もしかしたらすぐに行かなければいけないかもしれないし。
「実はですね、あの捕まえそこなった少女があの呪術師の家にいるそうです」
「なに?」
 まさかとは思っていたが、本当にあの呪術師の家にいたとは驚きだ。しかし、どういうことなのだろう。あの呪術師はわずか一月ほど前に他州からやってきたばかりだ。何の関係もないはずなのだが。
「今日非番の女性があの家にいるのを見たらしくて」
「ふむ……それで? 他に何か動きは?」
「いつもの女性が来て追い出されて、いつものように鍵を閉めてました」
 ナラムはこめかみを指で押さえた。あの呪術師のところには、どういうわけか少し前から女呪術師がやってきて朝晩を問わず、返せと喚(わめ)きちらしている。近所迷惑なことこの上ない人物なのだが、まったく改善の色が見えないのも問題である。何についてもめているのかは不明だが、早く返せばいいものを。
「またか。……では彼女はまだあの家にいるということか」
「はい。どうしますか?」
「一応見張りをつけて監視しろ。もし彼女があの家を出たら報告するように言え」
「わかりました! あ、それとですね、例の呪術師の女性が来てます」
「来てる? どこにだ」
「支部にです」
 ぐっ、と麺と野菜が喉に詰まる。ともすれば咳き込んでしまいそうなのを、何とかこらえて飲み込み、水を一気に流し込む。
「ど、どういうことだ」
 魔術師と呪術師は基本、仲が悪い。
 それは呪術という概念自体が魔術とはまったく違う流派でありかつ、長い間魔術師協会に魔術以外の流派の使用を強制的に禁止されていたからである。もう何十年も前に禁止条例は撤回されたというのに、彼らは今でも魔術師を避け、非難する。
 だから今回の彼女の行為は呪術師としては珍しすぎた。もっとも、あの家に住む呪術師は別だ。あれはなんか違う。
「わ、わかりませんけど、ナラム様に大事な話があるそうで……どうしますか?」
 ナラムは腕を組み、たっぷり数分考えこんだ。溜息のような唸り声と眉間の皺が、彼の考えている内容が深刻なのだと感じさせる。
「会おう」
 難しい顔のまま言い、ナラムは冷めてしまった麺の残りをかきこんだ。




 ホント、なんでこんなことになったんだろう。
 アノアはこの数日間、その言葉ばかりが頭に浮かんでいた。
 見下ろしている鍋の中に入っているシチューの具を崩さないようにかき混ぜながら思う。
「アノアごはんまだ?」
「もうちょっと」
 背後から腹をすかせた若い男の声がまだかと催促し、それを適当にあしらいながらアノアは考えながらかき混ぜていた鍋を火からおろす。鍋の中のシチューはほかほかと湯気をたてていて、とてもおいしそうなのだが、何かが違う気がしてならない。いや、シチューではなくて。
 あたしは『彗星の欠片』を探しにきたはずなのに、なんで普通の――いや、住人は普通じゃないが――民家で食事の準備なんかしているんだろう。
「まだー?」
 エキナがわざわざ寄ってきて肩に顎を乗せてくる。相当腹が減っているらしい。
「あーもうっ、暑いからくっつかないで! もうできてるからっ」
「ん」
 腹が減った早くしろと催促するうるさい家主(やぬし)のために、アノアは考えることをいったん放棄した。




 確か一週間くらい前に魔術師に追いかけられて。落ちて。エキナに会って。
 それからアノアはなんだか怖そうなやつらに捕まるかもしれないという不安から魔術師たちがうろうろする辺り一帯を抜けることができなくて、この一週間ずっとこの家に留まっていた。だって魔術師なんて今まで関わったことなんてないし、どんな用があったのかはわからないけれど、物語のようにロバや蛙にされるのは嫌だ。本当にそんなことができるのかは不明だが。
 早く『欠片』を見つけなければいけないのだけれど、エキナ曰(いわ)く、何故か昼夜関係無しに魔術師が見張りをしているこの状況ではそれも無理だし、兄が運良く見つけてくれなければ抜け出すことは不可能なのだ。いくらアノアが焦っていても、『欠片』探しは中断せざるを得ない。やっぱり怖いし。
 どうしようかと考えていたら、エキナがここにいればいいじゃんとか軽く言うのでその言葉に甘えて宿から馬とか荷物とか持ってきてもらって、おまけに普段着を買ってきてくれたりとか、とにかく色々してもらっているのである。
 しかし、それではあまりにも申し訳ない、というか情けないので、この家の家事全般はアノアが取り仕切っている。今日の夕食しかり、である。
 それでもやっぱり思うのだ。
「やっぱりダメだって、こんなの……」
「うまいぞ? シチュー」
 考えが口からついぽろっと出ていたらしく、エキナが不思議そうな顔でアノアの顔を覗き込んでくる。
「いやいやそうじゃなくて」
「パンか? それともサラダ?」
「違う違うそうじゃなくて!」
 勢いでがたんっ、と立ち上がってみたものの、さすがにエキナに考えていることを全部ぶちまけるのは抵抗がある。ので、アノアは何も言わずに大人しく椅子に座り直した。大体、この天然男に言っても何の意味も無さそうだし。
「……どうかしたのか?」
 エキナがさすがに心配そうな顔で問い掛けてくるが、アノアはなんでもない、と返すことしかできなかった。




 確かあれは、先々週のことだ。
 エキナはその時、とある商人の屋敷にいた。敵対する商人が屋敷内に呪いの人形を仕掛けていたとかで、それを解きに行ったのだ。
 そこに、とんでもないやつはいた。
 商人に仕事の話をしにきたというその男は、たかだか数十分話しただけのエキナに向かってこう言ったのだ。
『お前俺の義弟(おとうと)にならない?』
 そう言うものだから、エキナは最初、自分を相手の家の養子にしようとしているのかと思ったが、どうも違ったらしい。
『妹と結婚してくれないか』
 男は笑いながら軽く、しかしずばりと言い放った。その目は楽しそうに細まっていた。
 もちろん断った。世間話をしていたのに、いきなりそんな話になったのだ、おかしく思わないはずが無い。しかし相手は断られたというのに笑っていた。
『まあしばらく考えてみてくれよ』
 エキナは時間の許す限り早く断りに行った。それでも相手は笑っていた。まるで自分の思い通りになると信じているかのように。
 変なやつだったな、と思いながらエキナは椅子から立ち上がった。背もたれにかけた上着を羽織る。今夜は知人に呼ばれていた。
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