コメット・インパクト!

02

 小州とはいえ、城は他州にも見劣りしない立派なもので、昔はこの一帯がどれだけの金持ち国であったのかが如実(にょじつ)に窺えた。
「わっ」
 城の入り口で足早に出てきた誰かと人とぶつかりそうになって、アノアはよろめく。すかさずモナークが支えようとしたのだが、一瞬遅く、彼の手は空を切った。ぶつかりそうになった相手がすぐに気付いてアノアの体を自分の方に引き寄せたからだ。
 体が相手にぶつかる感触に驚き、アノアは相手の顔を見上げた。そこにいたのは、艶のある黒髪に橙と紫のオッドアイ、加えて右頬に変な模様があるものの、小憎らしいほどに整った顔立ちの若い男性だった。
「悪い、大丈夫か?」
 文句なしの美形だ。美青年で通っているモナークも負けるかもしれない。アノアはぼうっと相手を見ながらそう思った。
「おーい?」
「へ? あ、ああ、すいませんでした!!」
 自分でも恥ずかしいくらいの大声で謝罪すると、アノアは顔を赤らめながら男性から離れた。それでも視線は彼から離れない。だってこんな美形、既に見慣れてしまったがモナークを除けばファエトンにはなかなかいないし、こんな綺麗な男性と結婚することはまず無いにしても目の保養にはなる。
 男性は急いでいるのか、早々と立ち去った。アノアは気付かなかったが、何故かモナークがその後ろ姿を射殺(いころ)しそうな視線で見ていた。
「行くぞ」
 何故か不機嫌な幼馴染みに腕を掴まれながらアノアは城に入った。
 連れて来られたところは城の大広間だった。最近泥棒に入られたこともあったが、被害は特になかったし、建物自体にも何の損傷もなかったのは、本当によかったと思う。幼い頃にこの大広間を駆け回った記憶が甦(よみがえ)り、アノアは唇に笑みを滲ませた。
 が、それはすぐさま凍りつく。
「よう、アノア」
 仕事で出かけたはずの兄がいたのだ。
「……お兄(にい)、なんでいるの」
「仕事終わったから」
 さらりと答えた兄・アカテスは黒い髪と緑の目の、特に美形でも何でもない、普通の男だ。アノアとは似ていないが、それでもれっきとした兄妹だ。意地悪そうに微笑む兄に、なんだか嫌な予感がして、アノアはモナークに向き直った。
「それで? 話っていうのは?」
「実はな」
 一呼吸置いて、周囲に自分たち以外に人がいないかを確認する。今更。
「……お前、今父がどれだけ状態が悪いか知っているか」
 顔を近づけながらモナークは低く呟いた。息がかかりそうなくらい至近距離で、おまけに顔を赤くして――二、三年前から思っていたのだが、モナークは自分と話す時、何故に赤くなるのだろう――言われたので、適当に距離をとりながらアノアは自分が知っている範囲のことを答えた。
「……冬の終わりに倒れてからずっと寝たきりっていうのは聞いたわ。それからもうずっとお会いしてないし、他州にいらっしゃるから話もあまり聞かないけど……まさかもうお亡くなりになったなんて言わないわよね?」
 モナークの父である先代は昨年の秋にモナークに知事の座を譲り、隠居して悠々自適な農民ライフを送っていた。しかし、今年の晩冬に病気で倒れてからずっと、南方の州で療養しているのだ。元々体が丈夫な人であったから、先代もすぐに帰ってくると思っていたのに、もう向こうに行ってから四ヶ月も経とうとしている。
「まだ死んでない。勝手に殺すな」
 むっ、とした表情でアノアを睨みながらモナークは偉そうに腕組みをした。
「じゃあなんなの? もしかしてものすごく悪いの?」
「ああ。春から悪くなる一方だ」
「そんな……」
 アノアは眉をきつく寄せた。先代は息子と違って優しい、おっとりとした人物である。州民たちににっこりと微笑みかける彼の姿はとても穏やかで、アノアは彼が大好きだった。そんな彼がどうしてそんな目に合わなければならないのだろう。
「……昨日、母から手紙が来てな、全く体調がいい方向に向かないものだから変に思って占星魔術師(せんせいまじゅつし)に見てもらったらしい。そうしたら、この病気はただの病気ではなく、呪いによるものであると言われてな……」
「え。呪い?」
 アノアもモナークも不思議を起こす魔術のことは詳しくない。ただ、この世には何種類かの魔術師が当たり前のように存在していて、その中の一つが先程の占星魔術師だということは知っていた。
「一体どこの誰がこんな利益も無さそうな小州の知事に呪いをかけているのかと聞けば、どうやらそれは彗星であるらしい」
「……は?」
 こいつ頭おかしくなったんじゃないか、とアノアは一瞬思った。一体どこから彗星なんていう突拍子もないものが出てくるのか。というか、その彗星が呪っているってどういうことだ。
「なにそれ。彗星って呪えるの? っていうかそもそも自我があるの?」
「知るわけないだろう、俺に聞くな。大体俺もまだ半信半疑なんだからな、彗星の呪いなんて」
「だろうね……」
「とにかく、その占星魔術師が言うにはそうで、父の思い当たるところによると、原因は過去にあるらしい」
「過去?」
「そうだ。お前もファエトンという単語がなにを意味するかは知っているだろう?」
「うん。『彗星』」
 ファエトンに集落ができたのは意外と古く、かつて尾のある星――つまり彗星――がこの地に落ちた直後であった。群雄(ぐんゆう)割拠(かっきょ)の様相を呈していた当時、彗星の衝突で出来た地形は守るのに最適な土地だったのである。
 そしてその地に誕生した国家には初代王によって『彗星』の意味を持つファエトンという名前が与えられた、というのがファエトンの歴史である。
「初代王たちはこの土地に住み着き、守りに徹した。そして開墾の最中に無数の彗星の欠片を見つけたのだ」
 アノアは生まれてもう十六年もファエトンに住んでいるが、そんな話は初めてだった。
「なにそれ、そんな話初めて聞いた」
「俺もだ。それでその『欠片』なんだが」
 首を捻りながらモナークは躊躇(ためら)いがちに口を開いた。
 初代王はそれら『欠片』を全て集め、どうするか思案した。おりしも、『欠片』のことを聞きつけた魔術師たちが魔術の実験の材料にしようと、こぞってファエトンに集まり、国土を勝手に掘り返す始末。乱れる治安に初代王は困り果てた。
 そこで彼が思いついたのが。
「オークション?」
「どうも、初代王自身も『欠片』を持て余していたらしくてな、自分の配下の魔術師たちに命じて『欠片』を美術品に変えさせて自身が主催のオークションで売り払ったんだ。で、その金でこんなに立派な城を建てられたというわけだ」
「この城……やけに立派だなあと思っていたらそんな事情があったんだ……」
 結局建国時代も今とさほど変わらぬ貧乏小国だったというわけだ。今は国ではなく、州だけれども。
「ところが、全て売り払ってから国王やその親しい者たちが次々に原因不明の病に倒れたり、事故にあったりした。あまりに酷いので魔術師に命じて原因を探らせたところ、彗星の核とも言うべき一つの『欠片』が、売り払われたことを恨んで祟っていたそうだ」
「……祟りって……なんか信じがたいよ」
「だが事実だ。そこで急遽(きゅうきょ)、その『欠片』を買い戻して祀ったところ、病も治り、何事も起こらなくなったという」
「……もしかして先代の病気って……」
「十中八九、それだろう」
「でででもさ! あれって確か、蔵にしまったんでしょ? ならまた祀りなおせばいいだけなんじゃ……」
 そこまで言って、はた、と気付く。城に入った泥棒のこと。去年の冬の初め、城に泥棒が入ったが何かを取る前に追い払われた、とアノアは聞いている。あの彫刻が蔵にしまわれたという話を聞いたのも、確かそのあたりだ。冷や汗が背中を走る。
「昨年の冬に入った泥棒に取られた」
 やっぱり。
 当たって欲しくない予感が当たった。
「父はまあいいとか言っていたが、それがまさかこんなことになるなんて俺たちも思っていなかっ」
「ちょっと待って! ……なんであたしがそんな話を聞かされてるわけ?」
 話の途中だが、アノアは聞いた。背中にさっきの比じゃない、大量の冷や汗が流れる。
 ものすごく嫌な予感がする。
 聞きたくなかったけど、聞かなきゃもっと面倒なことになる気がしてアノアはまるで蝦蟇(がま)のように汗をだらだら流した。
「お前にその『欠片』探しを頼みたいのだ」
 モナークの真剣な表情、後ろに立っている兄が予想以上のアノアの反応に堪えきれずに吹き出す音。アノアはそれらを近くてとても遠い場所で感じていた。
 それはアノアがこの世には神様なんていやしねえ、と如実に感じた瞬間だった。




 そうして、幸運にも残っていた『欠片』の明確な絵画を目にするはめになるのだが――。
「……うえ」
 思い出してアノアは口を押さえた。あの奇怪な絵が鮮明に思い出されて気持ち悪くなる。頭の中からなんとか振り払おうとするのだが、頭の中から追い出そうとすればするほど頭の中から離れなくなる。
「あんな物作るなんて……初代王の部下の魔術師ってどういう趣味してたのかしら」
 が、そこまで思い出して、アノアの顔は怒りに歪んだ。
 モナークの許せない行動の第一位として挙げられるのが、あの後に起こったこと。そして兄の言動。
 そう、それが今の自分が怒り狂っている理由なのだ。
それはあの『欠片』を探すということよりももっとショッキングな出来事だった。




「嫌と言われてもな」
 アノアの絶叫で痛む耳を押さえながらモナークは呆れたように呟いた。
「もう議員たちとも話し合って決めたことなんだ。今更変えられん」
「なんであたしが!」
「アノア。ファエトン(うち)の特徴は?」
 それまでさほど話に参加してこなかったアカテスが急に口を挟んできた。それに驚きつつも、アノアは呟いた。
「少人数……」
「そういうことだ」
「うちは小州だ。信用できる家臣も少ない」
 アノアはちょっと口を噤(つぐ)んだ。信用されているのは嬉しいが、それにしたって。
「なんであたしが? 他に適任者がいるじゃない。兄さんとか他の男の人とか」
「俺貴重な外交官だし」
「ちょうどいい年頃の男は皆出稼ぎに出ているからな。お前の言う適任者は、男においてはほぼ皆無だ。それにお前なら真面目だから多少の無理も聞くだろう?」
「なにそれ! 横暴! やだもう帰る」
 確かにアノアは休日なのにいつも通り畑仕事をやってしまったりするほどの真面目な性格だが、こんなことに巻き込まれてはたまらない。アノアは急いで身を翻(ひるがえ)した。
 これであのうるさい父が手伝いをサボる許可をくれたわけがわかった。父は一応ファエトンに複数いる州議員の一人なのだ、何もかも知っていて許可を出したのだろう。しかも実の娘をそんなわけのわからん、何が起こるかもわからないことに関わらせるなんて。「女は家で夫を支えるべし」という男尊女卑の考えを持つ父が、いまや娘を何が起こるかわからない世界の中に放り出そうとしている。矛盾もいいとこだ、あのクソジジイ、ハゲろ。
「待て」
 後ろから強く手を掴まれて、真剣な声で囁かれる。
「本当にいいのか?」
 なにやら深い意味を含んでいそうなモナークの声に、両手足をばたつかせて暴れていたアノアも動きを止めた。
「……どういうこと?」
 なんだかまたぞろ、なにかとんでもないことを言いそうな、そんな予感がしている。
「ここはファエトンだ。そして俺はここの州知事だ」
「だからなに」
「お前の婚姻権を条件付きで剥奪する」
「はああ?!」
 今、この男は何と言ったのか。婚姻権がどうたらこうたら。
 それはアノアの中でとても大きな意味を持つものだ。だってアノアの夢は幸せな結婚をすることなのだから。
「……理解できないんですけど」
 理解できない。否、したくない。
 しかし、本当にそれが頭でうっすら理解されてくると、目の前の幼馴染みに対して殺意すら湧いてきた。なんだか答えがものすごく嫌なものという気がして口元が引きつる。
「つまり、お前はこの州内において結婚をすることは不可能だということだ」
 びしり、と空気が固まった気がした。
 体に雷が直撃した感じってこんな感じなのかな、とアノアはいささか冷静な頭で思った。いやいや、だって有り得ないし。モナークはわりと常識人だし、いくらなんでもこんなことはやらないはず――。
「しかし、もしも『欠片』を持って帰ってきたら解消してやる。わかったか、アノア?」
 モナークの声なんか聞こえない。
 いや、一応聞こえていて、なんだ、ちゃんと逃げ道があったのか、と心のどこかでは安堵したのだけれど、そんなことよりもやっぱり、モナークの横暴としか思えないやり方に腹が立った。
「アノア、ショックなのはわかるが事実だぞ。いつまでも思考の世界にトリップするな」
 アカテスの声に、急速に現実に思考を引き戻されたアノアはぼんやりとした。
 しかし、それも少しの間のことで、体が怒りにふるふると震え始める。
 この男一体、何様のつもりなのだろう。アノアの夢がお嫁さんだということを知ってるくせに、こんなことをするなんて。女性なら誰しも一度は素敵な、あるいは好きな男性と結婚して幸せな家庭を築きたいと思うものだろう。アノアもその例外ではない。相手はいないが。だが、モナークはアノアからその未来を奪い取った。酷すぎる。いくら州知事だからって、やっていいことと悪いことがある。
「アノア?」
「こんの……馬鹿知事ーーーーー!!」
「痛っ!」
 アノアの渾身の力がこもった平手を受けて、モナークは床に尻餅をついた。アカテスが盛大に吹き出して大笑いし始めた。
「最っ低! 大っ嫌い! 二度と話し掛けないでよね!!」
 今にも泣きそうな顔で噛み付くように叫んだアノアの頭に、何か大きなものが乗せられた。アカテスの手だった。
「まあ落ち着け。こいつも悪気があって言ったわけじゃない。なんせ自分の父親が今にも死にそうな病気にかかってるんだぜ?」
「それはそうだけど」
 モナークの行動は正しいのだろう。アノアだってできれば協力したい。でもだからって、狭い自州からろくに出たことのないアノアに任せるなんておかしい。というか、モナークの脅迫方法は間違っている。
「それにお前もこいつの性格は知ってるだろ? 人への好意をうまく表せない、今風に言うツンデレってやつだ」
「おい! アカテス!」
「そんなのわかってるけどさ」
 顔を真っ赤にして怒鳴るモナークがわけがわからない。何をそんなに焦っているのか。
「まあ考えてみろ。ろくに州外に出たことのないお前だ、今回のことは見聞を多少なりとも広める為にはちょうどいい。それに、」
 アカテスがアノアの両肩を掴む。にっこりと満面の笑顔で微笑んで、一言。
「ぶっちゃけ、こんな田舎より他州(そと)の方がいい男もたくさんいるだろ」
「なっ、ちょ」
 顔を引きつらせたモナークが慌てて抗議しようとするが、それは叶わなかった。
「…………そうかも」
 アノアはぼそりと呟いた。
「アノアっ!?」
「それ、もっともかも」
「だろう」
「おっ、お前ら!」
「よーし、じゃあ行くな?」
「うんっ」
「おいお前ら俺の話を聞けー!!」
 喜ぶアノアが兄に嵌められたと気付くのは帰宅してからであった。




「じゃあ、アノア。気をつけてね」
 にこやかな笑みを湛(たた)えた母親に弁当の包みを渡されてアノアは憮然としながらそれを受け取った。
 今朝、アノアが知事の勅命を受けたとあってやけに機嫌がいい父を腹立ち紛れにぼこぼこにしてきたのだが、それでもまだ機嫌は悪いままだ。昨日の自分の情けなさに呆れる。
 原因はそれだけではない。父、兄のみならず、母までもがこの話を前から知っていたようで、朝、アノア用に仕立て直された、袖口にオレンジのガラスと房飾りのついたクリーム色の旅装を母に渡されてアノアは固まった。
 ここもか。
「心配すんな、後で俺も合流してやるから」
「なんで今行かないの……?」
「仕事あるから」
 モナーク同様、成長してからは癇(かん)に障ることが多くなった兄から視線を逸らす。このままだとまた向こうのペースに乗せられて流されてしまいそうだ。
「そうそう、あっちにモナークが来てるぞ」
「今すぐ追い返して」
 兄が倉庫のあたりを指差して言ったが、アノアは視線すら向けなかった。むしろ嫌そうに即答して、引き出してきた栗毛の馬にわずかな荷物をくくりつける。
「じゃあ行ってくる。それと……」
 言いとめて、倉庫の方へ、今にも人を殺しそうな視線を向ける。倉庫の向こう側から、色あせた茶色の服がわずかに見え隠れしている。あの位置にいるなら、ここで話すことも聞こえているだろう。
「モナークが持ってきた物は一切受け取らないで」
 強い調子で言うと、倉庫の影からわずかに見える人影がびくりと大きく揺れた。
 やっぱりか。
 複雑な気持ちを抱えたままアノアは大人しくしている馬に乗った。
ああ、いらいらする。
 もう出発、という時になってもまだ不平不満がいっぱいだったから、アノアは頭に思い浮かんだことをそのまま口走った。
「あと、外国(そと)でいい男を捕まえてくるわ!」
 婚姻権を剥奪されたことなんかころりと忘れてそう言った瞬間、ベッドの中から外を覗き込んでいた父が派手に床に転げ落ち、倉庫の裏からモナークが落としたらしい果物やら野菜やらがごろごろと転がり出てきた。
 アカテスが父と友人のリアクションに耐え切れず噴き出す。
 いい気味だ。
 理由はわからなかったけれど、爽快な気分になってアノアは馬の腹を蹴った。馬が走り出す。髪を揺らして過ぎていく風を心地よく感じながら、アノアは州境まで振り返ることなく、馬を走らせ続けた。
 だからモナークが倉庫の裏で真っ白になって倒れこんだことを、アノアは知らない。
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